今日は、午前中に、区のカルチャーセンターに行くので、ガーデン作業は、そこそこにして、お出かけ。
江戸時代の水害の話を聞く。今回で2回目。
前回は、江戸になぜ、災害が多いかという話だったのですが、もともと、人がほとんど住んでいない江戸は、川の流れ、地形的にも、雨が降れば、いつも、大変だった。そんなところに、人が住もうとして、治水をして、川の流れを変更したりして、ようやく住んでいるという感じ。
もともと、災害の発生しているところに、人が住もうっていうわけだから、まあ、いろいろ起こるわけです。安全な場所に住めば、安全なんですけど。しかし、地震、水害、火災の多い日本では、どうしようもないという感じでしょうか?
今日は、水害。江戸時代の大きな水害について。
考えてみると、江戸時代の江戸は。今より、ずっと小さいのに、埋め立てをして、土地を広げて、水路をたくさん作って、台風来たわ、大雨降ったわで、水害が発生するわけですね。
この講座のすごいところは、その時、江戸幕府や役所は、どのような対策をとったか、被害がどうたったのかも、かなり正確にわかっているところ。いろいろな記録から、台風の進路まで、推測されていること。
たくさんの古文書、記録から、それらが、わかるんだそうです。
で、家に帰ってきて、私の住んでいる町会に、小さな神社が一つあって、その神社のいわれが、江戸時代に、大水が出て、多くの人が死んでしまったのですが、木に登って、生き延びた人がいて、その時、白蛇さんが現れて、その白蛇さんに生きて、帰れたら、神社を造ってお祀りしますということで、創建されたものがあります。毎年、小さなお祭りがありますが。
で、その話を書いたものをあったはずと思い調べてみたら、カルチャー講座で取り上げられていた1791年の寛政の高潮という災害のときの出来事だったんですね。
まあ、災害には、注意しましょうね。
次回は、江戸のコレラに江戸幕府は、どのように立ち向かった方の話なるそうです。
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